茨城県天心記念五浦美術館の館長に小泉晋弥名誉教授が就任
―茨大から見える美術館、美術館から見える茨大
北茨城市にある茨城県天心記念五浦美術館の館長に、茨城大学五浦美術文化研究所の所長などを務めた小泉晋弥名誉教授が就任しました。「お世話になった天心記念五浦美術館に恩返しをしたい」という思いで館長職を引き受け、現在は週2回同館に勤務し、SNSなどでも積極的な情報発信を行っています。そんな小泉名誉教授に、五浦海岸を臨む同館のカフェテリアでインタビュー。館長としてのビジョンなどを聞きました。
主役を壊してはいけない
―先生は美術館の学芸員の経験はありますが「館長」という肩書きは初めてですよね。役割をどう捉えていますか?
小泉「これまでいろんなタイプの館長を見てきましたけど、型にはまった館長像なんてなく、結局のところその人の考え方で進めていいんだというのが、私の基本方針です。ほんと、いろんな人がいますから、館長って(笑)」
―では小泉「館長」としてどう運営に取り組んでいきますか?
小泉「外から長年美術館を見ていて、私だったらこうするのに......ということはいろいろ考えていました。頭の中でリハーサルはしていたことになります。ただ、美術館といっても役所ですから、この先1年半~2年ぐらいの路線は大方決まっています。そうじゃないと運営できないですから。なので、前館長とスタッフが作った路線は外さず、でもそこに少しずつ自分の色を付けていこうかなという感じです」
―館長一人の思いだけでは何もできませんし、そうするべきでもないですね。
小泉「そのとおりですよ。岡倉天心は五浦で4人の画家(横山大観?下村観山?菱田春草?木村武山)を指導していたわけですが、大観に話すときと観山に話すときでは態度が違っていたというんですよね。それは天心に言わせれば、主役は大観や観山なのであって、それを壊しちゃいけないということです。
美術館も展覧会や作品が主役であって、ガラスケースに収まっている作品がちゃんと生きて動いているように見せるにはどうしたらいいかを考えるのが学芸員の仕事。そして館長はさらに一歩引いて、この館全体が生きて動いているように見えるにはどうしたらいいかを考える。そういう仕事だと思っています」
―その点でいうと、天心記念五浦美術館というのは、最初からコンセプトがはっきりしている美術館ですよね。その意味での難しさもあるのでは?
小泉「まさにどうしようもなくガチガチな美術館です。でも絶対その方がいい。
美術作品というのは、基本的にその作品が大好きな人が自分の身銭を払って買う。何十万円もするものは相当悩んで、どっちがいいかなって言って買う。そうやって自分が好きなものを買い続けてたまったものを『コレクション』と呼ぶのが基本です。一人の人の好みで掬いあげてきたものがひとかたまりとなってそこにあるほうが、コレクションの統一がとれるんですよ。
ところがそれを何でもありにして、これは私の専門外だから他の人の意見を聞いて買おうかとなると、平均点より上の作品は揃うかもしれないけれど、全体を見てもフーン......となっちゃう。どんなに癖が強いと言われようが、あるコンセプトのもとにそれを踏み外さないものを集めた方が、見る人は感銘を受けます。絶対そうです。何万点も持っているルーブル美術館のようなところはまた別ですけど、せいぜい1000点ぐらいしか持っていない美術館は個性がないと生き残れないと思いますよ」
天心との出会い、天心記念五浦美術館との出会い
―小泉先生は今でこそ天心の研究者という印象がありますが、もともとは違いますよね。
小泉「40歳あたりで茨大の教員になって、茨大に六角堂があったから天心のことを知るようになったんですよ。それまでは、世間でよく言う、『亜細亜は一、なり』と言って、日本を太平洋戦争に導いた『八紘一宇』の元締めみたいな嫌なヤツだと思ってた(笑)ところが調べてみるとそれは誤解で、彼は多元主義の元祖みたいなものなんですね。
私が東京芸大の学生だった頃は、学内にある天心の銅像を見て『なんでこんな変な格好しているんだろ』とか言ってバカにしていたんですけど(笑)、天心について知れば知るほど、なぜたくさんの人がこの人についていったのか、そういうものすごい深い人だったんだということがわかり、イメージがひっくり返りました」
―先生は茨大から天心記念五浦美術館をどう見ていたんですか?
小泉「こんなところに美術館をつくって大丈夫なのかと思いましたよ、最初は。本当に。ところがこれが大成功。それはやっぱり、岡倉天心がここに住んでいたという唯一のコンセプトがうまくいったということですよね。
開館して10年間は茨城県内で一番お客さんが入る美術館だったんです。最初の年は年間30万人ぐらい。美術館に来る人のうち3人に1人ぐらいが六角堂(茨城大学五浦美術文化研究所)へ行きますから、当時は10万人来ていた。だからしばらくの間、大学の博物館的な施設としては、五浦美術文化研究所が、東京芸大の美術館に次いで全国で2番目の入場者数を記録していたんです。茨大は天心記念五浦美術館に相当お世話になった。その恩返しをしたくて、美術館の館長を引き受けたというのもあります」
―年間30万人というのはすごいですね。最近は?
小泉「コロナ禍の影響が大きい。以前はスパリゾートハワイアンズとか、いわき方面へバスで団体旅行に出かけた人が、その帰りに寄る場所だったんです。毎日5~6台の観光バスが美術館の駐車場に停まっていたのを見たことがあります。ところがコロナ禍で『団体旅行』という概念自体が成り立たなくなった。するとここは365体育官网_365体育备用-【官方授权牌照】が悪いですからね。路線バスの整備なども改めて市に働きかけなければと思っています」
―この地域全体をどう考えるかという課題につながりますね。地域の中での理想的な美術館のあり方は?
小泉「少し話が飛びますが、茨大で五浦美術文化研究所の所長をしていたときだと思いますけど、いわゆる外部評価の会議に出たことがありました。そこではいろんな外部評価委員の方たちから『こういうことをやるべきだ』とか意見をいただくのですが、そのなかで一人、印象深い意見を言ってくれた人がいたんです。『あるだけでいい。あり続けてくれればいいんです、茨城大学は』と。つまり、存在そのものが地域にとっての誇りで象徴なんだから、変なことに手を出したせいで無くなっちゃうよりも、そこにあり続けることを第一目的にしてほしいとその方は言うんですね。今でも印象深く残っています。
その方はきっと何かを失くしたことがあるんじゃないか。まさに、無くなってはじめてありがたみがわかる、そういう存在になるべきなのであって、改革、改革と、ないものねだりを続けていたら疲れて倒れちゃう。
美術館も、空気みたいな当たり前の存在になるぐらいに、この地域の人たちの生活に息づいていれば、それは成功といえるのではないでしょうか」
へりくだりすぎるのでもなく、上から目線でもなく
―大学の広報担当としても深く考えさせられる話です。ではその理想に対して、現状の美術館の課題をどう捉えていますか?
小泉「二つに分かれています。ひとつは、ちょっと権威っぽくなっているところがないかということ。つまり、絵を展示して、ありがたく見てね、という雰囲気がちょっと感じられるんですよね。これは日本の教育の問題だと思いますけど、教科書に書いてあるからすごいという優等生的な評価に収まっちゃう。
それはかつて天心も悩んでいたことでした。人びとが仏像とか粗末にしてきたから、彼は国宝という制度を作って、国がお墨付きを与えることで守ろうとしてきたわけですよ。ところがそれが染み付いていって、国宝ということ自体が権威をもってしまった。国宝だから拝みなさいというのでは、かつて仏教美術が廃れたのと同じ道を辿ることになります」
―自分の目で見て、自分の言葉で語ることが大事だということですね。
小泉「そうです。だから、この作品はなぜ良いのかということを、美術館へ来た人にわかりやすく自分の声で伝える努力を、学芸員はしなくてはいけない。それで今、その見本として、美術館や作品についてなぜそれがいいかということを、私自身が自分の言葉で600字ぐらいで書いて、美術館のSNSにあげるようにしています」
―なるほど。課題のもうひとつは?
小泉「もうひとつはその反対で、あまりにもへりくだり過ぎていないかということ。たとえば子どもっぽいキャラクターの利用とかです。入口としては大事かもしれませんが、それが通用するのはせいぜい小学3年生ぐらいまでです。でも本当に子どもたちに美術を伝えたいならば、本来は算数や理科のように美術教育にも取り組まなければならないんじゃないか。
へりくだりすぎてもいけないし、上から目線でもダメ。普通の人と同じ目線で作品を見られるようにしたいなと。実は美術館のスタッフには、私の大学時代の教え子も何人かいるんです。茨大との連携も続けていきたいですね」
―地域の方々との連携、交流がますます重要になりますね。
小泉「茨大の五浦美術文化研究所の所長時代から、地元の天心偉績顕彰会の方々と共同でお茶会や観月会という展覧会をやってきましたから、まずはそのつながりを拡張していくことだと思っています。地元の顔見知りの方は、『美術館と話しやすくなった』と言ってくださっています。今まで一緒にやっていたことを、今度は別の側面からサポートできるかなと。大学のネットワークは貴重なんですよ。
ただ、喫緊の課題はそうしたコミュニティの高齢化。でも最近、この地域で水力発電に取り組んでいる若い方――茨大農学部の卒業生ですが――などに会って、天心のことをちょっと話したらとてもおもしろがってくれたんです。こういう人にバトンタッチしていきたい。その意味では美術館も大学もできることはまだまだありますよ」
―そうですね。改めて美術館の側から茨大へ期待することは?
小泉「あり続けてください。その一言です」
(取材?構成:茨城大学広報室、写真撮影?取材補助:茨大広報学生プロジェクト 丹野みさと(人社3年)、2023年6月16日?茨城県天心記念五浦美術館にて)