[人文社会科学の書棚から]
田中 裕 著 『古代国家形成期の社会と交通』

人文社会科学部の学問について、教員が新たに刊行した書籍に関するインタビューを通じて紹介する不定期配信のシリーズ第9回です。今回は2023年3月に刊行された人文社会科学部教授田中 裕(たなか ゆたか)先生(博物館学/日本考古学)の著書『古代国家形成期の社会と交通』を取り上げます。
インタビュアーは人文社会科学部教授の高橋 修先生(日本古代中世史)です。同じく井澤 耕一先生(中国思想史)にも加わっていただきました。なおインタビューは、2023年7月27日に、人文社会科学部の田中裕研究室で行われました。(企画?構成:茨城大学人文社会科学部

古代国家形成期の社会と交通高橋 田中先生と井澤先生は本学に赴任されたのが同期でしたよね。しかも同じ歳。これまで学問的な交流もあったでしょうか。

井澤 あったなんてもんじゃないですよ。まあいってみれば田中先生は僕の先生のような方ですから。

田中 井澤先生の専門は儒学ですから、古代の国家的秩序を考える時に、儒学は政治と強く結びつくことなど、しばしば参考になるご意見をいただいています。中華思想の列島への導入やその発露は、日本古代史上の重要な課題の一つですし刺激になります。

高橋 まず田中先生のこれまでの学問的な軌跡の中での本書の位置付けについてうかがいたいと思います。400頁を越える大著ですからもちろん集大成ということになるとは思うのですが。

田中 簡単にいうと私のライフワーク〈東日本的視点を加えた国家形成史研究〉の前半部分をまとめた著作です。これは二つの意味でそう位置づけられます。一つは、列島の国家形成過程においてその前半部分にあたる弥生時代後期から古墳時代中期までを対象とした研究をまとめたものであること、もう一つは、私の研究生活においても中間点までに行ってきた研究を主にまとめたものであることです。

高橋 外部からのイメージでは、考古学は遺物?遺構が基礎資料となるので、日常や生活に強い学問のはずです。その意味では、古文書?古記録に立脚するため政治?経済に強い歴史学とは、補い合う関係だったり、せめぎ合ったりします。でも古墳は当時の葬制の資料であるだけではなく、何よりも権力の象徴、政治の産物ですから、それにフォーカスすることで考古学?歴史学双方からの検討?議論が成り立つわけですね。本書の問題設定では、そのあたりも意識されていますか。

田中 本書の序章や第Ⅰ部冒頭でも書きましたが、「もの」を扱う考古学は政治や思想を解明するのが苦手で、文化や経済など社会的背景の解明に力を発揮します。ただし、その延長線上には社会組織論が関係してきますから、権力構造を含め、政治についても積極的に明らかにしたいと、皆が努力して目指してきました。古墳〈とくに前方後円墳〉は政治性の強い記念物なので、政治を解明するうえで絶好の研究題材なのです。

高橋 ではそろそろ本書の内容に沿って議論を深めていきたいと思います。まず第Ⅰ部では、「首長墓系譜」研究の歩みや編年の問題について重厚な整理がされています。

田中 第Ⅰ部「国家形成期研究への考古学的視角」では、国家形成史に関する考古学的方法論を用いた研究史をまとめて、本書の課題〈地域社会の領域と構造の解明、長距離交通ネットワークシステムの形成と社会の組織化との関係性解明〉を示しました。また、研究を進めるに当たって必要となる、時代や時期を見分ける基準〈とくに東日本でも通用するもの〉をはっきりさせました。

井澤 文字のない時代の社会編成を考える時に、「首長墓系譜」論の分析方法の有効性を強く感じますね。

田中 エジプトや中国などと違って、日本ではお墓から文字資料が出てきません。誰のお墓か分からない中で、王や地域の首長がどのように継承されるのかを明らかにするために、日本独自に発展した研究法がこの「首長墓系譜」研究です。古墳時代の中央と地方の関係を論じる根拠として最も用いられる研究なので、国際学会において紹介したこともあるのですが、本書で指摘したような問題点もあって、演繹的な理論を重視する欧米の研究者にはあまり理解されないことを残念に思っています。指摘した問題点を克服しながらさらに高めていくことを、本書では目指しました。

井澤 特に第Ⅰ部では、言葉や用語の使い方を慎重に規定したうえで論を進めていますよね。例えば首長間の「ネットワーク」などは、いままでIT専門の言葉かと思っていました。

田中 ここに気がついていただいたことはうれしいですね。「ネットワーク」の語がIT革命で普及するよりも前に、恩師の岩崎卓也先生が社会組織論の観点から古くより用い、少しずつ学界に定着してきたキーワードであることは、学界でもあまり知られていないので、私ならではの解説になっていると思います。学生時代の私は恩師とは真逆で、唯物史観に傾倒していた時期があり、その後、唯物史観から脱却する必要性を感じ、結果的に恩師の考え方に近づいたのですが、唯物史観の厚い理論に対峙するには、用語一つ一つの背景に厳しく向き合う必要がありました。徹底するのはなかなか難しいですが(笑)。

田中裕先生

高橋 第Ⅱ部では、地域社会のかたち、大きさが、どのように可視化、表示されるのかが、論じられます。

田中 第Ⅱ部「地域社会の構造―弥生時代末から古墳時代前期までの特徴と中期の変化―」では、地域社会のかたち(領域の大きさと結びつきの構造)とその変化について分析しました。古墳は墳丘形状を共有することで直接の仲間(族的結合を含む)を示し、墳丘の大きさが上下関係を示す、身分秩序に関わる標示機能があるとされています。これを手がかりにすると、「首長墓系譜」研究では描ききれなかった地域のまとまり(例えば、数十㎞離れた河川の上流と下流に住む人々の結びつき)を、根拠に基づいて示すことができるようになります。まだ存命だったころの恩師にとても喜んでいただいたという、若いころの論文が基になっています。

加えて、当時の階層構成がどうなっているのか、古墳の規模について量的に分析したところ、実態として3世紀には東日本でも円錐形階層構成が形成されているように見えること、4世紀には長い緩やかな川を中心に、水上交通を主要な紐帯とした地域結合体が顕在化すること、5世紀には生活の基本的な道具である土器が全国的に斉一化する現象と同時に、領域も内部構成も変化することを示しました。

高橋 河川交通で結ばれた「地域結合体」、その転換点に首長墓を配置するというあり方を、ヤマト王権からの応用とみています。統治技術が受容される背景はどう考えるべきでしょうか。

田中 この統治技術を第Ⅲ部では「前方後円墳秩序の論理」と呼んでいます。地域側はヤマト王権にこの技術を押しつけられたのではなく、自ら積極的に導入し、結果として地域のまとまりが明瞭になると考えています。その導入の背景には、交通ネットワークに加わり共にこれを形成することにより、地域に利益をもたらすことが作用しているのではないでしょうか。第Ⅲ部で扱っている部分がこれですね。

高橋 第Ⅲ部では地域を越えたつながりが主題となります。

田中 第Ⅲ部「水上交通志向の社会における首長権―弥生時代末から古墳時代前期までの特徴と中期の変化―」では、列島の国家形成の特徴である広域の急速な組織化は、長距離をつなぐことを前提とした水上交通ネットワークの形成であると考えました。まず、弥生時代から古墳時代の前期までは、水上交通が地域社会の重要な関心事になっていたことを、生活の場である村落の立地から論証しました。東日本においても朝鮮半島に鉄素材を依存していた、にもかかわらず、馬などの大型家畜や車が存在しないわけですから、舟を駆使した水上交通に頼るほかはないのです。古墳の立地、墳丘形状、副葬品、埴輪(壺形埴輪)を分析したところ、列島の東西は直接的に結ばれていたというよりも、とくに東日本では、飛石的で間接的な交流関係が「交錯」していたようです。危険海域を避けながら限界まで内水面を曳舟で遡上し、人力による最小限の陸超えでつなぐという「最大水路、最小陸路」の原則によって初めて長距離交通ができた時代だからこその関係性と考えています。

井澤 交通が社会と社会を結びつけ、生活の基盤となる。このあたりの論理は、考古学においては容易に受け入れられる論理でしたか。

高橋 生産より交通が重視されるという論理ですよね。

田中 第Ⅰ部でも書きましたが、生産を重視する唯物史観が強かった古代史の論壇において、交通による組織化という観点は容易には受け入れられず、恩師の岩崎先生のころは主流になり得ませんでした。交通の問題は、どちらかといえば対外交流によ