生体内の酸化還元反応における〈電子の運び屋〉役のタンパク質
エネルギー獲得のための生物共通の電位制御の仕組みを解明
―水素原子1つが司る〈ナノスイッチ機構〉の発見―
茨城大学応用理工学野の海野昌喜 教授、宮崎大学医学部の和田啓 教授、大阪大学大学院基礎工学研究科の北河康隆 教授を中心とする東京薬科大学?久留米大学?CROSS?JASRIの研究者らとの共同研究グループは、すべての生物がエネルギー獲得のために必要な酸化還元反応における「電子の運び屋」タンパク質の電位コントロールの仕組みを明らかにしました。大強度陽子加速器施設(J-PARC)内の物質?生命科学実験施設(MLF)の茨城県生命物質構造解析装置(iBIX)を使った実験を基に水素原子を含めた精密な立体構造を決定し、そのデータを使った理論計算により鉄硫黄クラスターの電子状態を可視化しました。その結果、鉄硫黄クラスターの電位は、水素原子一つの有無によって劇的に変化する、いわば"ナノスイッチ"機構があることを初めて明らかにしました。
本研究成果は2024年11月15日に国際科学誌『eLife』(オンライン)にPreprint版が掲載されました。
背景
生体内では物質と物質の間で常に電子の受け渡しが行われています。物質に電子を与えることを「還元する」といい、物質から電子を引き抜くことを「酸化する」といいます。それらが繰り返される反応を「酸化還元反応」といいます。呼吸や光合成は生体内の酸化還元反応の代表的なものです。
生体内には酸化還元反応を助ける様々なタンパク質が存在しますが、その中には鉄と硫黄のかたまり(鉄硫黄クラスター)を含んだものがあり、この鉄硫黄クラスターこそがタンパク質間の電子の受け渡しにおいて重要な機能を果たしています。フェレドキシンはほとんどすべての生物に存在すると考えられている鉄硫黄クラスターを含んだ小さなタンパク質で、「電子の運び屋」の代表的なものとして知られています。フェレドキシンの発見は非常に古く、60年前にはその機能の研究がスタートしていました。これまでに、構成する鉄と硫黄の数が異なる様々なタイプの鉄硫黄クラスター(図1)をもつフェレドキシンが発見されています。
水は高いところから低いところに流れるのが自然の摂理ですが、電子は「電位」(あるいは静電ポテンシャル)という位置エネルギーの低い方から高い方に流れます。様々なタイプの鉄硫黄クラスターをもつフェレドキシンの電位(酸化還元電位)は多様で広範囲にわたります。あるときは電子を他のタンパク質に与え、あるときは電子をまた別のタンパク質から引き抜くため、フェレドキシンは鉄硫黄クラスターの酸化還元電位をエレベーターのように上げたり下げたりしていますが、それがどのようにコントロールされているかなど、不明な点が多く残されていました。
密度汎関数理論法とよばれる方法に基づく計算を駆使すればフェレドキシンの電子状態を調べることができますが、正確な計算のためには、水素原子を含めたフェレドキシンの立体構造が必要となります。しかし、タンパク質分子の中の水素原子の位置を決定することは非常に困難であることから、これまでフェレドキシンのみならずほとんどのタンパク質の理論計算では、水素原子の位置は"仮定"で配置することが常法でした。仮定された水素原子の位置が事実と異なれば、理論計算の前提が崩れて得られる結論が無意味なものになります。そこで研究チームは、フェレドキシンの中の水素原子の位置を実験的に決定し、鉄硫黄クラスターの電子状態を実験事実に基づいて解明することに挑みました。
研究手法
現在、タンパク質の立体構造を原子が見える解像度で解析する手法としてX線結晶構造解析法(1962年ノーベル化学賞)やクライオ電子顕微鏡法(2017年ノーベル化学賞)が一般的に使われていますが、これらの手法は原子の中で一番小さな水素原子を同定するのには適していません。また、本年(2024年)ノーベル化学賞を受賞したタンパク質の構造予測アルゴリズム(AlphaFold)でも、現段階では正確な水素原子の位置を予測することは不可能です。そこで本研究では、水素原子をタンパク質中の他の原子と同程度の明確さで同定することが可能な中性子結晶構造解析法を利用しました。
本研究では、フェレドキシンの結晶を非常に大きく育てるという高いハードルを克服した上で、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質?生命科学実験施設(MLF)内にある茨城県生命物質構造解析装置(iBIX)で根気よく中性子を使ったデータを収集しました。
さらに、実験的に精密に決定した立体構造情報を用いて、量子力学?量子化学に基づいた理論計算(密度汎関数理論)によって鉄硫黄クラスターの電子の状態を調べました。得られた結果の検証は、遺伝子を細工してフェレドキシンの中のアミノ酸1つを改変した変異体を試料とし、空気による鉄硫黄クラスターの酸化を防ぐために酸素を極限まで排除したチャンバーの中での実験により進めました。
研究成果
本研究では、分子の中に4つの鉄と4つの硫黄のクラスター([4Fe-4S]型クラスター; 図1)をもつフェレドキシンの立体構造を中性子結晶構造解析により決定し、鉄硫黄クラスター周辺の水素も含めた原子の正確な位置を実験的に明らかにしました(図2)。鉄硫黄クラスター周辺の水素原子の実際の位置は、これまで予測されていた位置とは異なることがわかりました(図3)。その正確な水素原子の位置を踏まえて、鉄硫黄クラスター周辺の電子状態を理論計算により求めたところ、鉄硫黄クラスターに由来する電子は、鉄硫黄クラスター周辺だけなく、1 nm(ナノメートル = 0.000001 mm)以上距離が離れた部位にあるアスパラギン酸64番まで拡がって分布していることを初めて発見しました(図3, 図4)。(1 nmはタンパク質分子の中の距離としては長くて直接相互作用はできません。)興味深いことに、この電子の拡がりは、アスパラギン酸64番の側鎖(カルボキシ基:-COOH)の水素原子がないとき(-COO-)のみに観られ、水素原子があるとき(-COOH)には、電子は鉄硫黄クラスター周辺のみに分布することがわかりました(図4)。実際に、鉄硫黄クラスターが酸化される速度と酸化還元電位を測定することで、アスパラギン酸64番が鉄硫黄クラスターの反応性に大きく影響していることを証明しました。フェレドキシンには複数のアスパラギン酸が含まれていますが、そのような現象が見られたのは、64番目のアスパラギン酸だけでした。さらに、種々の微生物に由来するフェレドキシンにおいても、同様の立体的位置にあるアスパラギン酸残基が鉄硫黄クラスターの電子状態に影響を与えることも明らかにしました。
本研究では、離れた位置にあるアスパラギン酸側鎖の水素原子一つの有無が鉄硫黄クラスターの電子状態を変化させる"ナノスイッチ機構"が存在することを世界で初めて明らかにしました(図5)。また、このナノスイッチ機構は、古細菌でも保存されていることを証明し、生物界で広く利用されていると考えています。
今後の期待
タンパク質の分子の中に含まれる鉄硫黄クラスターは生命活動の根幹を担う様々な反応に関与しています。今回の酸化還元電位の制御スイッチ機構は、それらの反応制御にも応用できます。例えば、生体内で酸素(O2)や一酸化窒素(NO)を検出しているタンパク質では、ごく微量のガスを検知するのは鉄硫黄クラスターです。また、病原性の細菌を含め、多くの微生物ではタンパク質中の[4Fe-4S]型鉄硫黄クラスターがエネルギー獲得において必須な役割を果たしています。さらに最近では、フェレドキシンや鉄硫黄クラスターが癌細胞で重要な働きを担っていることがわかってきました。本研究での発見は、生体反応の科学的な理解を深めるにとどまらず、将来的にはO2やNOの超高感度センサーや新規薬剤(抗がん剤、病原菌に対する抗生物質など)の開発への大きな手掛かりになることが期待されます。
論文情報
- 論文名:Protonation/deprotonation-driven switch for the redox stability of low potential [4Fe-4S] ferredoxin
- 著者:Kei Wada*, Kenji Kobayashi?, Iori Era?, Yusuke Isobe, Taigo Kamimura, Masaki Marukawa, Takayuki Nagae, Kazuki Honjo, Noriko Kaseda, Yumiko Motoyama, Kengo Inoue, Masakazu Sugishima, Katsuhiro Kusaka, Naomine Yano, Keiichi Fukuyama, Masaki Mishima, Yasutaka Kitagawa*, Masaki Unno*
*責任著者 ?同一の貢献度 - 掲載誌:eLife
- 掲載日:2024年11月15日(Preprint版の公開)
- DOI:7554/eLife.102506